元原発関係技術者故平井憲夫さんの論文です。同氏は1996年長年の
被曝により物故されました。当然福島第一の人災に直接触れたものではありませんが、
この論文は原発の何たるかを淡々と伝えていると思われます。
ご参考まで。
増田 満
添付されていた資料をこの友人の同意を得て公開することにしました。
PDFファイルです。小生の公開ディスクに入れてありますので下記のタイトルをクリックすると読めます。お読み下さい。
原発とはどういうものか知ってほしい(全)現場を離れた机上の議論が如何にきれい事であるのか、よくわかります。
(追記)
このブログに書いたことは自動的に Twitter に流れるのだが、この件に関する Twitter のRTコメントを見るとこれは以前からかなり組織的にこの文書をディスクレディットする攻撃がなされていたらしい。書いた人は学者じゃないので細かいところでは数字の間違いはあるかもしれない。しかし、今回の福島第一事故をみれば、やっぱり本質的なところで間違っていなかったと考えるべきだろう。原子炉技術者だった大前研一も 同じような指摘をしている(次ページ)。
原発は、ほとんど永遠に続く廃棄物の後始末や、建設時や事故の起こった時の補償を含めると、トータルコストでは従来型よりもとてつもなく高くつくから、経済的にも見合わなくなっている。合理的に考えて、止めた方がいい。
3 件のコメント:
以前、荷風の足取りを追っていて「余丁人」様のブログを拝読しておりました。今回たまたま、facebookからたどり着いて平井様の文章を読ませていただきました。もう15年以上も前にかかれたものですが、これを読めば今回の福島第一原発の事故は起こるべくして起こってしまったものだという事が明白です。原発の事をはじめ、今回の大災害では日本が将来同のような国を造っていくのか、再生のビジョンをしっかりと考え直さなければならないことを改めて認識しました。東電始め、原発関係者、政府、官僚、そして国民全ての人に読んでもらいたいと思います。
電気の無駄をなくせば、やめられると思いますよ。
企業における照明とエアコンは無駄が多すぎます。あとは駅のエスカレータもそうですね。高度成長期の日本と比べればわかります。散人さんの子供の頃の街の商店なんか、裸電球が、いくつかぶらさがっただけだったはずです。
照明に対する異常な感覚は、前大戦で、日本本土の制空権をアメリカに握られていたのに戦い続けて、空襲のために灯火管制で暗い生活をして、明るくすることが憧れになったのでしょう。
ただ、現実的には正常稼動してる原子炉は、長い年月で、代わりの発電システムに転換していくしかないでしょう。長い年月というのは、50年、100年です。
まぁ、それでも、結局、国民が決めていくんだろうと思います。一部の人の賢い知恵だかなんだかしりませんが、計画停電のような政策はとうていできないと思います。
数年前の東海村臨界事故の時、バケツで作業をしていた、という信じられない実態を聞いて、日本の原発は恐ろしいと思っていましたが、どこもその程度の危機意識ゼロ、設計者以外みんな素人という現実を突きつけられ、鳥肌立っています。
直子さんのご意見に深く共感いたします。
このファイルを日本人全員が読み、反論があれば堂々と発表し、どんどん議論を交わせば良いと思います。
私たち電気(衣食住すべての製品を含む)を使う立場の者も、安全なエネルギーを得るためには、今よりももっともっとその対価を支払わなければならないことを自覚しなければいけないですね。
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